本
『かがみの孤城
/辻村深月』
読み終わりたくなくて
じっくり じっくり読んだ
“学校に行かない”ことが
後ろめたくて、苦しくて、外に出れば世界から咎められている気がする気持ち
すごく分かる
生きていないような存在していないような
先生も学校も同級生も敵のような
色々な、中学生の時に感じた思いが蘇った
読み終わった後味も良い
予想していた展開と違うかったことが嬉しい
中学生の私の部屋の鏡も光ってないかな…
私にも学校じゃない、現実じゃない居場所が欲しかったな…
私はやっぱり、学校に行けない 行きたくない子のサポートができる、他の居場所を作ることができる何かに携わりたいのかな、、?
ぬわぁ、好きな作品だった
まだまだ
自分はまだまだである。
頑張ることを頑張りたいと思った
何かを目指して努力している人はやはりカッコいい
ここでは報われる報われないは関係なく
もちろん今までの努力も認めるつもり
だけど、楽な努力の仕方とか、そういうのなんか違うなぁ
ああ、私もカッコよくなりたい
本
最近読んだ本。
手段と目的は別であること
手段は何だっていいはず
こだわるのは目的で、緻密に想像して楽しむこと
私はずっと
大人になって、“私”の多くの時間を過ごす“仕事”を「どうしたらいいんやろう」「何を目指さなければいけないんやろう」と思ってたけど、
案外、“仕事”は手段でもいいのかと
目的はもっと別の何かでもいいのかと、
もっともっともっと自由に考えていいものなのかもしれないと気づいた
「もし、恐怖がなかったら何をするだろう?」という表現が好きだ
がんじがらめにしているのは過去の自分
次の変化・目的には過去から得た教訓よりも、変化に応じて行動を起こすこと
そしてその“変化”に気づく能力を養うこと
きちんと、自分の目的を定めること
もう少ししたらまた読み返そう
7
誰かを意識すると、きっと、どう思われるかっていう計算や打算が働いてしまうから
やめる。
明日は少し声を出す練習をする
顔、声、表情、動き、から自信がないのが伝わるから
だめじゃないけど
声に出して間違えても てへ でいいや
可愛くなれよ て言ってたし
明日も生きるの楽しみだ
言葉
前のブログで書いた通り私の話を少ししたいと思います。
本当はプロフィールみたいに細かく書いていこうかなと思ったりもしたんですが、またおいおい話していくことにしました!
ぜひ読んで欲しいです。
幼稚園の頃から私は私の人生に挫折しました。友達と喧嘩をするたびに、悪くなくてもとりあえず謝らせる先生たちが理解できず、そこから私の「違和感」は始まりました。
中学の頃、家族、教師、友達と合わなくなり登校拒否をしました。
3年間の半分を家で過ごし、
外に出るのも怖い、家にも居場所はない、自分が自分として存在できる場所はない、もう何も信じられないし何もできない。どんどんどんどん暗いところに引っ張られていきました。毎日毎日、とまらない、行き場のない涙が溢れるばっかりでした。
私の考えは同級生にも理解してもらえず、
もう自分を出すのは止めよう、もう何も発さないでおこう
と思い、それからは何か言葉を発するたびに泣きそうになってしまい、コミュニケーションが取れなくなってしまいました。行動することも怖くてたまらないです。
たぶん、閉じ込めた言葉や考えが
出せ!解放しろ!
と叫んでいるのをずっと無視してきたことに限界を感じているのだと思います。
何もできなかった私に、何も動けなかった私に、大丈夫だよと伝えたいし、
私はこの社会に皮肉を述べたりしたいんではなくて、ただ単純に自分が楽しい、と、ちゃんと生きていける世界を作っていきたいと思っています。
私の言葉が誰かに届きますように。